マイケル・ムーア監督の生い立ちA

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マイケル・ムーア監督の生い立ちA

ここではマイケル・ムーア監督の歩んできた歴史を見ていきたいと思います。

【社会派ジャーナリスト時代】

彼がデイヴィソン高校を1972年に卒業した話は前回お話しましたが、その後彼はミシガン大学フリント校に入学します。
しかし、その大学は僅か1年余りで中退致します。
その後、22歳になった頃に隔週刊誌『The Flint Voice』を刊行致します。
この雑誌はしばらくして廃刊になりましたが、その後、1986年にマザー・ジョーンズ誌(※アメリカ合衆国ではかなり有名な労働活動家の名前からとった)と呼ばれる雑誌社の編集者となってカリフォルニア州に転居致します。
その5ヶ月後に同紙によって、サンディニスタ(※サンディーノ主義者)の人権記録を非難したと言われているポール・バーマン自身による雑誌への掲載を断ったため、それが原因で解雇されました。

【フィルムメーカー時代】

1989年、生まれ故郷の自動車整備工場が不況により閉鎖に追い込まれて、それにより失業者が蔓延した事を題材として取り上げたドキュメンタリー映画作品「ロジャー&ミー」で監督としてデビューを果たします。
彼の映画の撮り方はアポイントメントを全く取らずにゼネラルモーターズの企業経営者と言われるロジャー・B・スミス会長への突撃取材などを行っており、その手法が人々の注目を浴びました。

敵を無くしたアメリカが、隣の国のカナダを勝手に敵国として仕立てるコメディ仕立ての映画になっていて、常に外敵を作りあげるアメリカ政治というものを滑稽に描いた作品になっています。

1997年、この年に監督したドキュメンタリー作品で「ザ・ビッグ・ワン」というものがあるが、この作品は以前撮った「ロジャー&ミー」と同等の手法の取材を行い、アメリカ国内に存在する工場を閉鎖し、失業者を常に増やしながら、生産工場を国外に移しながら利益を得ているグローバル企業の経営者陣にアポなし取材を敢行しました。

これがマイケル・ムーア監督が歩んできた歴史です。
多分、今までの映画監督でもここまで忠実にドキュメンタリー作品を撮っている監督は彼以外にいないのではないでしょうか?

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